雨の中、飼い主を待つ犬、パリ、ニューヨーク
2009年9月17日 Thursday


パリとニューヨークで街を歩いていてたまたま出会ったちっちゃな彼らは、撮らずに立ち去ることなどできない、切ない眼で私の方をチラリと見た。
買い物をしている飼い主を、雨のなか、ただジッと待つ健気な二匹。
2009年9月17日 Thursday


パリとニューヨークで街を歩いていてたまたま出会ったちっちゃな彼らは、撮らずに立ち去ることなどできない、切ない眼で私の方をチラリと見た。
買い物をしている飼い主を、雨のなか、ただジッと待つ健気な二匹。
2009年9月17日 Thursday
2009年9月11日 Friday

次から次へと新しく出てくるネットワークや接続コード規格は、スピードを数字だけで知っているので、他と比べてどのくらい速いのか、わかるようでわからない。
そこでグラフにしてみた。
100メガの光ファイバーインターネットあたりより上は、劇的に倍数で速くなっていく。意外に速いなあと思ったのがギガビット・イーサネットで、理論値上はFirewire 800より速い。
ものすごいのは次世代USB規格「USB 3.0」だ。あまりにもすごすぎて、ぜんぶ納めようとすると、グラフが下のように5倍の幅になってしまう(一番下のグレーがUSB3、その上がeSATA)

先日のあるセミナーで、CG系会社の社長が、次に期待するテクノロジーはUSB3.0だと言っていたが、グラフにしてみてその意味が少しわかった。5Gbpsだと、巨大なハイビジョン動画ファイルでもあっという間に転送されてしまう。2009年末までには最初のUSB3.0製品が発売されると言われている。
(どれも理論値なので実際のスピードは環境に左右され、上記を下回る点にご注意)
2009年9月11日 Friday
ジェイムス・クレノフが、2009年9月9日に亡くなったという知らせが、メールで今朝カリフォルニアから届いた。
James Krenovはアメリカでは知る人ぞ知る、木の家具の巨匠。1920年にスウェーデンで生まれ、1981年にカリフォルニア州フォートブラッグに家具学校を設立するためにアメリカに移住した。
日本の家具作家達の間にも彼のファンは多く、私の父もその一人で、クレノフさんと少しばかりの交流があった。そんな父の薦めもあり、私はその田舎町にあるクレノフの家具学校に留学したことがある。高校を卒業したばかりの18歳の時のことだ。
なにしろ留学1年目で英語もつたなく、そこにきてクレノフ氏は自他共に認める「木狂い」。人間にはさして興味を示さない孤高の老人だった。巨匠には異常な敬意を払う典型的な日本人の私は、彼と1対1で話すたびに緊張したものだった。
日本で言うところの超ガンコ職人で、激しい躁鬱のため病的な気分屋。学生達の間では「今日のジムの機嫌はどうだ?」という会話が日常的だった。日本だったらクレノフ先生と呼ばれて恐れられそうなものだが、われわれ生徒は彼を「ジム」というニックネームで呼んだ。たまーに機嫌の良いときには、驚くほどフレンドリーでいろいろ話したりしたもので、冬休みに日本に帰国したときには彼に頼まれて、そば殻の枕を調達して帰ったりもした。
当時は、ひでえジイサンだと思っていたが、今思えば、あれくらいの変わり者でなければ、すごい作品は生み出せなかったのだろうと思う。ただ人当たりが良いだけの仕事人は、人には慕われるが、作品に勢いは無いことが多い。人柄は最悪だが作品はぶっとんでいる・・・そういうケースで真っ先に思い出すのはクレノフじいさんかもしれない。当時の私は若く、また、木工を勉強し始めてわずか1年の初心者だったから、細かい高尚な理屈は、彼の著書を何度読んでもさっぱりわからなかったが、制作途中の彼の家具の現物を間近で見ると、あの「よくわからないがメチャメチャすごい」というオーラが漂っていたことは覚えている。
数人いた先生による授業の中で、ご本尊のクレノフ氏が教えるのは週1回、それも1時間程度の短いものだった。それ以外の時間は、彼も20人くらいの生徒達と同じ工房に作業台を並べて自分の作品を作っていた。授業時間は少なかったものの、師匠がいままで見たことの無いような木の家具を少しずつ形にしていく課程を毎日間近で見ることができたのは素直におもしろかった。物作りというのは、家具にしろデザインにしろ、作る課程の方がおもしろいものなのだ。彼の作業台は、加工機械の並ぶ部屋に行くドアのすぐ隣にあって、その機械室に向かう度に、いまクレノフじいさんは何を作っているのかと、小脇に材木を抱えた私も立ち止まって見学したものだ。
彼は家具を作っていないときは、学校の工房の近所のテニスコートにいるか、はたまた奥さまのブリータさんが作った質素なサンドイッチをかじりながら作業台に体を寄りかからせて腕を組み、口をもぐもぐさせて制作中の家具を思慮深げにジーッと見つめていた。「このじいさんは木と話せるんだよ」と誰かにこっそり耳打ちされたら、なるほどねと納得してしまいそうな光景だった。
さて、私が「彼の偉業は何か?」と聞かれたら、多数の家具を残したことよりも、独特な雰囲気を持つ家具作家のコミュニティーを生み出したことだと答えるだろう。
私が留学していた1990年代当時では、クレノフ氏の作風を学ぶために来た生徒よりも、彼が作り出した学校の親密な雰囲気の方を求めて来る人の方が多かった。アメリカ全土・世界各地から集まってくる生徒の年齢層は、下は18上は退職した孫までいる年配まで。この田舎町にやってきて、クレノフ流の家具作りを初期に学んだ20年以上前の生徒達の多くは、卒業後に地元に根を下ろし、毎年新しい工芸文化とコミュニティーを生み出した。いまでは、北カリフォルニアのメンドシーノ郡周辺には多くの木工家具作家たちが暮らしている。これはすべてジェイムス・クレノフというスウェーデンからやってきた工芸家を起点として生まれたものなのだ。
木の工芸の世界を道半ばで離れてデザイン方面に向かった私には、単刀直入に説明できないのだが、クレノフ氏の家具のデザインがどうということではなくて、彼の家具作り、物作りの「哲学」に共感して集まってきた職人達が作り上げたコミュニティーなのではないかと思う。
数年前に眼が見えなくなってしまうまで、ずっと家具を作り続けたというクレノフ氏。片手にあの独特なスタイルの木のカンナを携え、またもう一方にはテニスラケットを持って、天国に出かけて行ったのではないだろうか。
クレノフじいさんは、いま頃、ホントに木と話しているかもしれない。
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これから家具作家を志す若手に奨学金を出す「ジェイムス・クレノフ基金」をCollege of the Redwoodsに設立する予定だそうである。 クレノフ氏に影響を受けた日本の家具作家の皆さんで、基金への寄付に興味をお持ちの方は、連絡先をお知らせしますので私までメール(mail [at] yoshidesign.com)でお送りください。
写真はすべて1995〜1996年当時のもの。
上の大きな写真:バンドソーでスライスした木をベニアにする方法を授業で説明するクレノフ氏。
小さな写真(クリックで拡大):学生の作品を講評中(2枚)、工房に届いた材木を学生達に混じって選ぶ師の後ろ姿、この年の生徒達、人口5000人のフォートブラッグ(学校の工房は町外れで、右上の中学校のグラウンドの右側)
2009年8月3日 Monday

中学時代の同級生女子がロンドン人と結婚。旦那であるロニーは、社交ダンスのプロ御用達店「クリスタルクローバー」を本場ロンドン近郊でやっている。
今月、東京店をオープンして、ついに海外出店。
彼とは歳も同じで、ロンドンに行くたびに飲んだりして仲が良く、日本進出のおり、デザイン制作でちょろちょろ手伝ってあげている。
「ダンスビュウ」という社交ダンス専門誌に広告も1ページ。ド派手な広告が多い雑誌で、あえてシンプルなデザインにして目立たせた。左上のモデル写真以外は、撮影もわたくし。
商品はロンドン店からそのまんま持って来ているらしいので、踊る方は覗いてみてください。
2009年8月3日 Monday
2008年12月19日 Friday

アニー・レボヴィッツ(写真家)の『At Work』は、Union Squareのバーンズ・アンド・ノーブルで偶然手に入れた直筆サイン本!
その他、NY行き機中で勉強意欲満々のアテンダントのお姉さんに譲ったディズニービジネスの本もう1冊、そして雑誌いっぱい等々。
いまから数年後に「ああ、それであのときあの本を読んでたのか」と気付く人もいるかもしれない。
2008年12月13日 Saturday

幕が下りた。そして、ワ・ムー劇場の床はこんな様子。
客席を出口に向かって登る途中、人の波に紛れてこっそり1回だけシャッターを押した。
10月末に、舞浜で生まれて初めてのシルク公演を観てから2ヵ月も経っていない。ニューヨーク滞在の最終日に、急に空き時間ができたので、土曜夜の公演をネットでブッキングした。こんなにも早く2作目を観られるとは思っていなかった。SoHoのキューバ料理カフェで知り合いと会ったあと、Nトレインで32丁目に向かった。
マンハッタンのど真ん中、マディソン・スクエアにある劇場で演じられる「ウィントゥック」は、雪の降らなくなった真冬の大都会を舞台に、主人公の少年が雪を探して旅に出る物語。
シルクというとアクロバットで魅せるイメージが強いが、この作品はブロードウェイを意識したのか、はたまた新しい方向性を模索しているのか、演劇性バリバリで「ミュージカルにサーカス要素を盛り込んだ」作品と表するのがしっくりくる。子どもを連れてきたら間違いなく大喜びする内容だが、意外にもインターミッション中のロビーは、黒いコート姿で酒を飲む大人がほとんどだった。
前から6列目でウィントゥックを観ながら、舞浜の専用劇場公演「ZED」のすごさを改めて実感した。マンハッタンで舞台を観る最中に、想いは地球の反対側・京葉線沿線にあるというのも皮肉な話だけれども、地球スケールで人々を楽しませ、各地で劇場を満席にするシルク・ドゥ・ソレイユは半端じゃない。
2008年12月11日 Thursday

ヨーロッパからの観光客で行列のできたMoMAのチケットカウンターを横目に、ロジャーに指示されたとおり、54丁目入り口の方に近い案内デスクに向かう。
メガネのアジア女性に「I’m on today’s guest list. Yoshi Abe.」と伝えると、彼女は素早いアクションで奥からバインダーをわし掴みにし、手書きのリストを人差し指でなぞり始めた。自分のラストネームはA-B-Eだと念のため繰り返すと「あ、日本の方ですね」と日本語で返事が返ってきた。
ロジャーにメールをして、今日の招待客リストに加えておいてもらった。先日の彼とのランチのときには、すぐあとにミッドタウンで打ち合わせがあったので展示は見られなかった。今日は、ジェレミーと夜の打ち合わせディナーまでの数時間、ゆったりと世界級アートとの戯れ、そしてアンドリュー・ワイエス「Christina’s World」との1年ぶりの再会。
「Staff Guest」と書かれたチケットを受け取って礼を言い、いざ展示スペースに直行しようかと思うと、おばさまが日本語でチケットの説明を始めた。一瞬、親切に今日の見所を教えてくれているのかと思ったが、なにやら美術館会員だけに事前公開中の展覧会も観られ、超大入りのゴッホ展にも列に並ばずスルーで入場できるというではないか!数年前に一気に値上がりして20ドルになったMoMAの入場料がタダになる!というくらいのつもりでロジャーの好意に甘えたのだが、このチケット、どうやらVIPゲスト用らしい。
こういう待遇、好き。
各フロアのチケットチェックのお兄さんお姉さん達の笑顔と挨拶がいつもより鮮烈だったのは、気のせい・・・ではないと思われる。