「木と会話できる男」アメリカ木工家具界の巨匠、ジェイムス・クレノフ死す
2009年9月11日 Friday
ジェイムス・クレノフが、2009年9月9日に亡くなったという知らせが、メールで今朝カリフォルニアから届いた。
James Krenovはアメリカでは知る人ぞ知る、木の家具の巨匠。1920年にスウェーデンで生まれ、1981年にカリフォルニア州フォートブラッグに家具学校を設立するためにアメリカに移住した。
日本の家具作家達の間にも彼のファンは多く、私の父もその一人で、クレノフさんと少しばかりの交流があった。そんな父の薦めもあり、私はその田舎町にあるクレノフの家具学校に留学したことがある。高校を卒業したばかりの18歳の時のことだ。
18歳の小僧 vs. 究極の「ガンコジジイ」
なにしろ留学1年目で英語もつたなく、そこにきてクレノフ氏は自他共に認める「木狂い」。人間にはさして興味を示さない孤高の老人だった。巨匠には異常な敬意を払う典型的な日本人の私は、彼と1対1で話すたびに緊張したものだった。
日本で言うところの超ガンコ職人で、激しい躁鬱のため病的な気分屋。学生達の間では「今日のジムの機嫌はどうだ?」という会話が日常的だった。日本だったらクレノフ先生と呼ばれて恐れられそうなものだが、われわれ生徒は彼を「ジム」というニックネームで呼んだ。たまーに機嫌の良いときには、驚くほどフレンドリーでいろいろ話したりしたもので、冬休みに日本に帰国したときには彼に頼まれて、そば殻の枕を調達して帰ったりもした。
当時は、ひでえジイサンだと思っていたが、今思えば、あれくらいの変わり者でなければ、すごい作品は生み出せなかったのだろうと思う。ただ人当たりが良いだけの仕事人は、人には慕われるが、作品に勢いは無いことが多い。人柄は最悪だが作品はぶっとんでいる・・・そういうケースで真っ先に思い出すのはクレノフじいさんかもしれない。当時の私は若く、また、木工を勉強し始めてわずか1年の初心者だったから、細かい高尚な理屈は、彼の著書を何度読んでもさっぱりわからなかったが、制作途中の彼の家具の現物を間近で見ると、あの「よくわからないがメチャメチャすごい」というオーラが漂っていたことは覚えている。
クレノフ家具のメイキングをながめる日々
数人いた先生による授業の中で、ご本尊のクレノフ氏が教えるのは週1回、それも1時間程度の短いものだった。それ以外の時間は、彼も20人くらいの生徒達と同じ工房に作業台を並べて自分の作品を作っていた。授業時間は少なかったものの、師匠がいままで見たことの無いような木の家具を少しずつ形にしていく課程を毎日間近で見ることができたのは素直におもしろかった。物作りというのは、家具にしろデザインにしろ、作る課程の方がおもしろいものなのだ。彼の作業台は、加工機械の並ぶ部屋に行くドアのすぐ隣にあって、その機械室に向かう度に、いまクレノフじいさんは何を作っているのかと、小脇に材木を抱えた私も立ち止まって見学したものだ。
彼は家具を作っていないときは、学校の工房の近所のテニスコートにいるか、はたまた奥さまのブリータさんが作った質素なサンドイッチをかじりながら作業台に体を寄りかからせて腕を組み、口をもぐもぐさせて制作中の家具を思慮深げにジーッと見つめていた。「このじいさんは木と話せるんだよ」と誰かにこっそり耳打ちされたら、なるほどねと納得してしまいそうな光景だった。
そして彼が残したもの
さて、私が「彼の偉業は何か?」と聞かれたら、多数の家具を残したことよりも、独特な雰囲気を持つ家具作家のコミュニティーを生み出したことだと答えるだろう。
私が留学していた1990年代当時では、クレノフ氏の作風を学ぶために来た生徒よりも、彼が作り出した学校の親密な雰囲気の方を求めて来る人の方が多かった。アメリカ全土・世界各地から集まってくる生徒の年齢層は、下は18上は退職した孫までいる年配まで。この田舎町にやってきて、クレノフ流の家具作りを初期に学んだ20年以上前の生徒達の多くは、卒業後に地元に根を下ろし、毎年新しい工芸文化とコミュニティーを生み出した。いまでは、北カリフォルニアのメンドシーノ郡周辺には多くの木工家具作家たちが暮らしている。これはすべてジェイムス・クレノフというスウェーデンからやってきた工芸家を起点として生まれたものなのだ。
木の工芸の世界を道半ばで離れてデザイン方面に向かった私には、単刀直入に説明できないのだが、クレノフ氏の家具のデザインがどうということではなくて、彼の家具作り、物作りの「哲学」に共感して集まってきた職人達が作り上げたコミュニティーなのではないかと思う。
数年前に眼が見えなくなってしまうまで、ずっと家具を作り続けたというクレノフ氏。片手にあの独特なスタイルの木のカンナを携え、またもう一方にはテニスラケットを持って、天国に出かけて行ったのではないだろうか。
クレノフじいさんは、いま頃、ホントに木と話しているかもしれない。
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「ジェイムス・クレノフ基金」への寄付を募集中
これから家具作家を志す若手に奨学金を出す「ジェイムス・クレノフ基金」をCollege of the Redwoodsに設立する予定だそうである。 クレノフ氏に影響を受けた日本の家具作家の皆さんで、基金への寄付に興味をお持ちの方は、連絡先をお知らせしますので私までメール(mail [at] yoshidesign.com)でお送りください。
写真はすべて1995〜1996年当時のもの。
上の大きな写真:バンドソーでスライスした木をベニアにする方法を授業で説明するクレノフ氏。
小さな写真(クリックで拡大):学生の作品を講評中(2枚)、工房に届いた材木を学生達に混じって選ぶ師の後ろ姿、この年の生徒達、人口5000人のフォートブラッグ(学校の工房は町外れで、右上の中学校のグラウンドの右側)







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阿部譲之 あべよしゆき。木工芸とプロダクトデザインを経て、NYで石岡瑛子に師事。東京を拠点に活動するデザイナー、ジャーナリスト