「デザイン」カテゴリーのエントリー

ターセム+石岡瑛子、映画「落下の王国」関係者試写

2008年8月15日 金曜日

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スクリーンに次々と映し出される映像も素晴らしかったが、観客席の顔ぶれも感動的だった。

映画「ザ・セル」でコラボしたターセム監督と石岡瑛子氏の第2弾、「落下の王国 - The Fall -」。関係者向けジャパンプレミア兼試写会が、お盆の最中に新宿某所であった。

北京オリンピック開会式から帰国したばかりの石岡さんを始め、ターセム監督も登場してのトークショー付き。

世界24ヵ国以上・世界遺産13カ所でロケ、撮影4年、CG無しの全部実写という、壮大な濃密視覚エンタテイメント。石岡さんの鮮やかな衣装が、大自然に美しく栄える。

五輪の衣装デザインの話題のせいで、テレビ取材のクルーも数局。見ていると、テープ交換の手際の良さが各局違っていて、無音であっと言う間に交換するカメラマンがいるかと思うと、アシスタントも手伝っているのにガッチャンガッチャン音をさせて騒々しいのもいたり。差が出るものだなと思う。

関係者席の方はクリエイティブ業界のそうそうたる面々。坂田栄一郎さん・杉本博司さんの二大巨匠写真家が、両方とも白いスーツだったのが印象的。写真手前の青いTシャツの頭はピーター・バラカンさん。そんな、業界最高峰の中に座っていて、おれはまだまだだなぁと思うと同時に、やる気みなぎる。

壇上の通訳は戸田奈津子さんだったのだが、字幕翻訳と同じように正確さではなく味のあるトランスレーションが絶品。帰り際に、ロビーに戸田さんがいらっしゃったので、その感想を少しお話。

石岡さんと直に会うのは久しぶりだったが、いつ会っても変わらぬエネルギーで、彼女は歳をとらないのでは無いかとさえ思う。オリンピックが成功してさらに注目が集まっているため、次のプロジェクトも続々オファーが来ているとのこと。

ターセム監督とも少しだけ話したのだが、気鋭の映像作家というシャープなイメージが、言葉を交わした後には「良く話すおちゃめなお兄さん」に大変身。

会場を後にして階段を上り始めると、前をおかっぱ頭の菊地凛子さんが歩いていた。

『デザインノート』誌、20号に寄稿

2008年7月26日 土曜日

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佐藤可士和さんのインタビュー記事8ページの、編集と文章を担当。

建築家の手塚夫妻とコラボした幼稚園をメインに取り上げています。

マニア専用だったiPodは、行列のできる電話機に姿を変えた

2008年7月13日 日曜日

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iPhoneの原型である最初のiPodが発売されたのは、NYに飛行機が突っ込んだ2ヵ月後、2001年11月のこと。

当時のiPodは、テクノロジー中毒のMacユーザーだけが飛びついたマニアックな商品だった。予約をしてまで発売当日に手に入れた私は、大学で工業デザインを勉強したものだから、角がとがって痛い、傷つきやすいケースには感心しなかったが、2つのことにひどく興奮していた。

ひとつめは、ハイテクの固まりにも関わらず、複雑なテクノロジーの顔は完全に影を潜めていたこと。ハイテク機器のインターフェースは、往々にしてありとあらゆる設定を変更できる複雑さが美徳で、量が勝負の時代。iPodは「音楽を楽しむ」という目的を邪魔する余分な機能は、容赦なく排除するという、ごくあたりまえの原点に戻るプレーヤーだった。

いまとなっては当たり前になったことだが、アップデートをインストールすると新しい機能が使えるようになるという仕組みも新しかった。機械を買い換えなくてもソフトだけで新しいプロダクトに生まれ変わるという「物理的な物を売る」プロダクトデザインの根本がひっくり返った。

あれから7年。

iPodは携帯電話に姿を変え、世界中で長い行列ができる商品になった今も、あの2つの個性に変わりはない。

思いつく機能をドンドン追加する「足し算のデザイン」で磨き上げたのが、日本の携帯電話ならば、iPhoneは完全に逆転の発想。どの機能を省くかという「引き算」の思想だ。iPhoneは沢山のことが出来ることが売りではあるが、その機能一つひとつは徹底的に考え抜かれた非常にシンプルなものだ。カメラひとつをとっても、シャッターボタンしか出てこない。

日本の機能大盛りの携帯電話に慣れているユーザーには間違いなく違和感があるだろう。例えて言うなら、iPhoneはお年寄り向けのシンプル携帯のようなコンセプト。極めて使いやすいが、機能は限られている。多機能を期待して買うと痛い眼にあうので注意が必要だ。

…と、ここまで書くのだから、この男はiPhoneに違和感など、みじんも感じていないのだろうと思う方も多かろう。

もちろん満足である。

でも、実は、長年のジャパニーズ携帯のユーザーとしては、かなりつらい携帯だと感じる部分も沢山あることがわかった。アメリカ帰りで、しかも自称ハイテク&マックおたくの自分でさえ違和感があるのだ。あの行列に並んだ日本のみなさんは今夜あたり何を思っているのだろうか。もしかするとiPhoneはすべての日本人向けではないのではないか?

24時間使ってみた最初の印象は、明らかに外国の文化感でデザインされた携帯電話であるということだ。それと同時に、逆に、世界の市場で鎖国状態を貫いてきた日本の携帯テクノロジーのすごさも見えてきた。

数回に渡って書いてみるつもりだ。

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Webデザインノート 07号に寄稿

2008年7月6日 日曜日

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最新号のWebデザインノート誌に、3本記事を書きました。

凄腕プログラマーの前川峻志さん、デジタルに情緒を持たせるディレクター・アラカワケンスケさん、そしてヨーロッパ系のデジタルデザインエージェンシー『LESS RAIN』の東京オフィスを取材。

印刷が完了するまで他の記事の内容は知らなかったのだが、ニューウェーブ特集ということで、ウェブからインスタレーションまで記事が幅広く、 かなり密度が高いというのが、第一印象。

もともとは一読者だった私。その視点で考えるとこの号は結構売れそうな気が…(と、編プロの樺山さんに伝える)。

師匠が北京オリンピック開会式の衣装デザイン

2008年7月3日 木曜日

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長らくご無沙汰していたNY時代の師匠・石岡瑛子さんに、仕事の話でメールを打った。

ニューヨークから返事が来ると思っていたところ、北京から返事が届いた。なんと、オリンピック開会式のコスチュームデザインを担当していて、追い込みのまっただ中なのだそうだ!

『広告批評』の最新号に「北京の石岡瑛子」と題した28ページの特集が載っていると教えてもらい、早速本屋に走る。長めのインタビュー記事なのだが、われわれが外から見る中国とはまた違う、生の現場の中国ストーリーが面白い。どうも僕らがメディアで見ている中国は、実物とは少し違うみたいである。

肝心のコスチュームデザインは、8月8日の開会式まで極秘。総監督は映画監督のチャン・イーモウで、会場スタジアムはヘルツォーク&ドムーロン設計。そして、ハリウッドからシルク・ド・ソレイユまでを手掛ける石岡瑛子の衣装。

突然、オリンピックが他人事では無くなった。

「100万」という数を「100万個の点」で描く(40年前の本)

2008年4月13日 日曜日

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10年以上前のニューヨークでのこと、今でも大事にしている一冊の本を見つけた。

ある日、通っていた美大の図書館の前に段ボール箱がずらりと並んだ。古い本を処分する投げ売りだ。アメリカの古書に特有の湿っぽい匂いがする、色あせた本ばかりで、あまりそそる雰囲気ではなかったのだが、1冊2ドルだというので、高い美術書の掘り出し物でもあるかと思い、物色を始めた。

そのときに見つけたのが、ごくシンプルに「One Million」と題名のついたこれ。定価は3.95ドル。

私が生まれるよりも前に大手出版社Simon & Schusterが出版。その中身には、私だけでなく教授や同級生は眼を丸くした。…正確には、それに加え、眼がチカチカした。

その本を開くと、紙の上に並ぶのは文字の代わりに「黒い点」。200ページに渡って目の錯覚テストのようなページが延々と続き、100万個の点が整然と並ぶ。

2番目の黒い点の「2、エデンの園の住人の数」というコメントから始まり、「81,000、 アメリカで心臓移植を待つ人」、「251,723、1969年にワシントンDCでベトナム戦争抗議デモに参加した人」、「649,739(分の1)、ポーカーでローヤルストレートフラッシュになる確立」など、なんとなく知っていそうで、いまいちどのくらいのサイズなのかがわからない数字が紹介されている。

この本が世に出てから40年近く経った現代にも、そっくりそのまま残っているのは、数字という抽象的なわかりにくい概念だ。数百億円でどこぞの企業を買収したとか、国家予算が何兆円であるとか、大きな数であればあるほど、実際の大きさはよくわからない。人間がいっぺんに認識できる物事の数は7だと言われているし、手と足の指を総動員しても20までしかカウントできないわけだから、頭の中ですぐに認識できるのはそのくらいの量だろう。

この本を手にした若き美大生は、デザインがこういう社会的に大切な情報を直感的に伝える役割を担えると思った。「情報」が世界を動かす最強の力になったいま、情報の翻訳家が必要だと思う。アフリカの難民が何万人いると聞いても、アマゾンで森が消えていくニュースを読んでも、そりゃ大変だぁというくらいの反応しかできない我々の脳がそこにある。こういった人類の明日に関わることの規模は、当事者である私たちの理解のキャパを遙かに超えてしまった。

インフレ、人口爆発、世界規模の環境変化・・・、巨大な数字があふれ出している。1970年には「100万」で社会現象を表現できたとしても、2008年版となると何巻シリーズになるのだろうか。

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雨の火曜日、しっとりとデザインを練る

2008年4月8日 火曜日

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本棚から重い写真集をいっぱい出してきて、雨の音を聞きながら、デザインのアイディア出し。

雨の日はすべてが落ち着いた大人な雰囲気になるのが好きだ。濡れた地面や植物が濃厚な色に姿を変え、空気は文字通りしっとりと湿り気を帯びて、雨の香りを漂わせる。何層もの雲を突き抜けてきた太陽の光は勢いを失い、かすかに青白さを帯びて、窓際に置かれた物にやわらかな陰影をつくる。

こうやって、綺麗な写真集に眼を通すのが仕事、というのも幸せだなあと、ふと思う。

締め切り前の静寂。雨音。

最近買っている唯一のデザイン誌(の編集長に会う)

2008年3月28日 金曜日

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まともなデザイナーほど、あまりデザイン雑誌は読まないものなんです。

建築家フランク・ゲーリーは『建築家達の20代』という本の中で、こんなふうに話している。

「若い頃は事務所に送られてくる雑誌を全部キャンセルして、そういった専門誌を絶対見ないようにしていた」

同じような資料を見ているプロは、結局のところ同じようなものを作ってしまうということもある。業界誌の呪縛は絶対に存在する。くわえて、一流の仕事人は、そもそも他人の仕事を気にかける必然性が無いのかもしれない。

かく言う自分は、ここ最近デザインの為に買う雑誌というと、女性向けファッション誌が多い。そこはブランディングとデザインの最前線。一流ブランドの広告レイアウトや色使い、タイポグラフィーなど、シンプルであるがゆえのストレートな伝達力。写っているモデル達のように贅肉をそぎ落とし、恐ろしい額のカネで磨き上げられたビジュアルは、単純であるがゆえに記憶に残る。

そんな中、 ここ数年で唯一買っているデザイン雑誌というのもある。

『デザインノート』。デザインの舞台裏の焦点を当てるというメイキング誌。やっぱりどんな業界でも、舞台裏の方が100倍面白いのですよ。プロの仕事ぶりは見ているだけでエンターテイメントだと思う。

メイキング特典映像だけ観たくてDVDを買うこともある自分としては、姉妹誌『建築ノート』や『Webデザインノート』が出たときも嬉しくなった。今年になって『フォトグラフノート』まで出版され、Tokyo Nobodyのカメラマン・中野正貴さんの撮影メイキングが載っているのを眼にした瞬間、無条件即買い。

そんな折、しばしご無沙汰の物書き業を再開したいという欲望がメラメラと燃えだしていた。ふと巻末を見ると「外部スタッフ募集」とあり、編集長直通のメールアドレスがあるではないか。

その翌週、NYの頃に書いた記事サンプルを持って本郷の誠文堂新光社を訪ねた。編集長の三嶋さんは、広告代理店出身で、デザインノートの前は、ペット誌を8年担当していたという。穏やかな口調の彼から裏話をたくさん聞かせて頂いた。同誌は、ジュンク堂書店のランキングの常連だそうで、絶好調そのものの様子。そのせいで腕の立つスタッフが慢性的に不足しているそうで、近くお仕事をすることになりそうな気配。楽しみである。

なにしろ雑誌も、舞台裏の方が面白いのを、私は知っているものでしてね…。

大人のための実体験ゲームを企画中

2008年3月16日 日曜日

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人生そのものが波瀾万丈でスリリングになってくると、昔は楽しめたテレビゲームや映画では刺激が足りず、もんもんとする自分に気付く。

そんな大人のために、実体験型エンターテイメント『リアルゲームズ』を企画中。仮装護衛ゲーム『GUARD』と、社会派・ゴミの奪い合いゲーム『SWEEP』の準備を進めている。

現実の東京の街を舞台に行うゲームの開催に向け、ゲームに参加したい人、企画に口を出したい方の連絡を歓迎。(mail@yoshidesign.comまでどうぞ)

まだまだつめが甘いものの、ひとまず手の内を公開することにする。今後の展開はブログでもお知らせしていく。

世界共通、締切直前の大騒動

2008年2月22日 金曜日

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フェデックスのお兄さんが現れるのを待つコンピュータ機材の山。10月のプロジェクトで使ったものが極寒のカナダから戻ってきた。今度は一路、暖かいフロリダに向かう。

一式を送り出して打ち上げ!…となるはずだったのだが、国外に発注したCGアニメーションが間に合わず、データを持って日曜日にオーランドに飛ぶことになってしまった。ビデオ編集自体もまだ終わりが見えないという典型的なドタバタ。

本当は今朝のフライトで帰国するはずだったけれども、直接オーランドからデトロイト経由で日本に戻ることに。変更一切不可の航空券だったため、生まれて初めてチケットの一部を捨てて買い直すという、ある意味ゴージャスな気分。

鋭意制作中

2008年2月18日 月曜日

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黒に映える大盛りのチューリップ

2008年2月16日 土曜日

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朝7時のブルックリン・ハイツを散歩していて、黒塗りの小さな花屋の前を通りかかる。

色とりどりのチューリップが大盛りに飾られていたのに目に留まり、続いて足が止まった。

開店前で店の奥は真っ暗。その暗闇の黒を背景に、静物画を見ているかのように色鮮やかにくっきりと浮かび上がっていた。さながら絵本に出てくるミステリアスな魔法の花屋という雰囲気。

場所はモンタギュー通りのすぐ側。マンハッタンのすぐ対岸にあるブルックリン・ハイツ地区は、金持ちが多く住む場所で、そういうお客さんが家を飾るために立ち寄るのだろう。花も客の家のインテリアを選ぶというわけだ。

花屋の数でその街の文化度がわかるという説もあるらしいが、花が生活を彩る習慣はアメリカやヨーロッパの方が浸透していると感じる。数日前に、バレンタイン・デーの夜にマンハッタンを歩いていて、男だけの行列をそこら中で見かけたが、その先をたどると全部花屋だった。

それにしても閉店時に通行人の足を止めさせるとはなかなかのセンス。今朝、街が動き始める前のこの瞬間、通りの主役は間違いなく、重たげに頭を傾ける丸々と太ったチューリップ達だった。