ワールド・トレード・センター跡地、建設開始
2008年12月2日 火曜日

朝、7:45。グランドゼロの囲いを横目に、足早に金融街のオフィスに向かうニューヨーカー達。
この写真のように、朝日に照らし出されたビルの影が、また別のビルに模様を描くのは、高層ビルがずらりと行列するマンハッタン独特の光景。
まだ何も立ち上がっていないが、やっとグランドゼロの新しい建物の工事が始まったらしい。新タワーが、マンハッタンに影を落とすのはいつ日になるのだろうか。
2008年12月2日 火曜日

朝、7:45。グランドゼロの囲いを横目に、足早に金融街のオフィスに向かうニューヨーカー達。
この写真のように、朝日に照らし出されたビルの影が、また別のビルに模様を描くのは、高層ビルがずらりと行列するマンハッタン独特の光景。
まだ何も立ち上がっていないが、やっとグランドゼロの新しい建物の工事が始まったらしい。新タワーが、マンハッタンに影を落とすのはいつ日になるのだろうか。
2008年12月1日 月曜日

金融危機の渦中にある、マンハッタン島の南の先端ウォール街。
林立するビルを太陽が照らし出す、そのわずか手前の時間に、対岸のブルックリンハイツ・プロメナードからの写真。
ここ半年くらいで、よく散歩に出かけるようになった。 ニューヨークの街は、面白い散歩コースには事欠かない。
2008年11月28日 金曜日

最後にジェレミーと会ったのは、焼き鳥からモクモクと立ちのぼるグレーの煙が漂う、吉祥寺の伊勢屋だった。
ヤツの大好物「ネギマ」が安っぽいテーブルの真ん中に山盛りになり、いつもの2倍酔っぱらったせいで、別れを惜しむ正常な思考が残っていたのかどうかも定かではないあの夜は、今年の春。彼はその数日後に東京を去った。
国籍も女性哲学もかなり違うのだが、何かこう、人生のリズムが同じでしっくりくる。ジェレミーは西海岸の大学を出てから、社会人経験のほとんどを日本で過ごした東京通。新生銀行時代の同僚だった当時からよくつるんでいたが、長い東京生活をついに離れて春にオーストラリアに移住。金融危機のまっただなかだというのに、今度は11月にニューヨークで某大手金融会社の仕事をゲット。
ニューヨーク滞在の目的の一つは、彼とのあるビジネスの相談。到着翌日の朝10時に、キャナルストリートとブロードウェイの交差点直下のアパート前で待ち合わせし、冷え冷えとした朝の空気の中を、ほど近いSoHoのカフェまで歩く。ランチタイムに向かって次第に混み始めた店内の片隅で、数字の試算。案ずるより産むが易し。まずは小さなスケールで、とにかくスタートしちゃおうということで合意に至る。どのみち、あまり開拓されていない分野だから、やってみたいとわからない。
ジェレミーのために持ってきた東京土産は、成田に向かう前夜に阿佐ヶ谷で買った20本のネギマ。 タレがジュルリとしたたる鶏肉とネギの束は、12時間の国際フライトを経て、成田で買った日本酒とともに、マンハッタンのど真ん中で二人の友の腹に幸せに納まった。
近所の日本酒場で更に熱燗4合。 井の頭公園湖畔の伊勢屋からはずいぶん遠い異国の地だが、「もう1軒行くか?」ってところまで、やってることは全くおんなじ。
2008年7月26日 土曜日

IKEA・船橋店は、店員と客が日本人である以外、まんまアメリカの店舗と寸分の差も無いものだった。名物ミートボールも健在。
アメリカだと、IKEAだけでなく、Home DepotやPrice Clubなどで、ばかでかい倉庫式ストアはおなじみだが、日本で同じものを見ることになるとは…。
果てしなく続くセルフサービス倉庫を体感するだけでも、行く価値あり。あのスケールと延々と並ぶ商品の山は、ほとんど幻想的な眺めだ。喜んで写真を撮っているうちに閉店時間になり、買いに行ったはずのテーブルは後日に持ち越し。
(余談:アメリカ人はIKEAを「アイキア」と発音するが、「イケア」が本家・北欧の正しい読み方)
2008年7月17日 木曜日

手の届かない高いところに窓がひとつ。
カーテンも無いこのガラス窓を見上げると、空の色のうつろいが眺められる。
この角度から覗くと、快晴の空にヤシの木が顔を出しているのに初めて気付いた。
ヤシと青い空、そして乱れた電線で思い出すのは、石垣島の熱気。
窓の向こうだけは南の国。
2008年7月13日 日曜日

ずっと自宅兼仕事場での毎日だったのだが、知り合いからお誘いを受け、ITベンチャーの一角に机を置かせて頂くことになった。オフィスシェア。
そもそも、人間の頭はずっと同じところで一日を過ごすようにはデザインされていないのではないかと最近気付いた。
一時期、テレコミュート(自宅勤務)が流行ったことがあったが、最近はあまり聞かなくなった。このところアメリカでは、巨大なオフィスをフリーランスのプロ達が共有するブームが起きているらしいが、それも納得できる。
やっぱり沢山の人がまわりにいるのが、幸せ。
作業系の仕事はこちらに来てやることが多くなりそうだ。緑溢れる目黒庭園美術館が目の前で気持ち良い。最寄り駅は山手線・JR目黒駅。

2008年7月11日 金曜日

表参道には夜通し1,500人が並んだそうだ。
あっちは契約手続き完了までそのまま待たないといけないようだが、新宿ヨドバシでは朝6時半から2時間だけ並んで整理券を貰い、さっさと帰宅。土曜日の指定された時間枠に契約しに来れば良いことになった。
表参道は徹夜組の若い連中が目立っていたが、こちらはと言うと、写真の靴でわかるように出勤前のサラリーマンが多かった。400人前後で打ち止め。
2008年7月10日 木曜日

言わずと知れた、創業160年の老舗。うなぎの最高峰「五代目野田岩」は、東京タワー直下、飯倉交差点から少し下ったところにポツンとある。
山本益博さんが「2階の雰囲気が必見」だと言っていたのを思い出し、引き戸をくぐり2階は空いているかと問うと、少し待てば空くかもしれませんがお待ちになりますか?と和装の女性。
野田岩は席を待つのがあたりまえなのだが、この40代の仲居さんは、待たせるのを何度もわびて声をかけてくれた末に、ちょっと様子を見てきますと言い残して2階に消えてからすぐ戻り「いまお会計をなさっているお客様がいらっしゃいます」と満面の笑みで報告をしてくれた。
彼女の言葉使いや仕草に見とれていると、何やら幸せがこみ上げてきた。お嫁さんにするならこんな人だよなあと、妄想をはじめる自分。次来るときは、うなぎでなく彼女目当てで来てしまいそうだ。
大広間だと思いこんでいたのだが、案内されたのは小振りではあるものの、なんと立派な個室の座敷だった。
「ここ、2人だけで使って大丈夫なんですか?」
「もう今夜はお客様が一巡しましたから大丈夫ですよ」
座布団に座った連れは、タタミをじっと見つめて「ふうむ、さすがのものを使っている」と宣言した。タタミの品定めなど私にできるはずもなく、 撫でたり押したりしてみるが、やはりわからない。要するにこの連れというはうちのオヤジだが、さすがにとんでもないことを知っていて時折驚かされる。
うなぎは注文してから炭火の上にのせられ、焼き上がるまでしばし時間がかかるものだ。このひとときは、じっくり話をする良い機会だろう。コミュニケーションをとりたい相手との会食には、わざとうなぎを選ぶというのも粋なものではなかろうか。
味については別に私が書かないてもよろしい。そりゃうまい。個人的には、塩をつけて食べる白焼き(野田岩では「志ら焼」と綴る)がたまらぬ。
この日は 天然うなぎがあまり出なかったとのことで、養殖の代わりに天然を出してくださった。霞ヶ浦産だそうだが、お品書きにある「天然うなぎ 時価」は、この日は5,000円前後だったとか。我々が元々オーダーした、スタンダードうな重の最上級「萩」でも3,675円である。おそるべし天然。
割り箸の袋には、天然うなぎの肝には釣り針が入っていることがあるので注意されたし、と書かれている。天然は春から出回るそうだが、「今年はもうラッキーな人が出ましたよ」と、仲居さんが愉快そうに教えてくれる。若い女性だったそうである。めったに出るものではないので、持って帰る人も多いらしい。
障子を開けてお勘定を取りに来た仲居さんに、1万円札を2枚渡す。するとその直後に、金額を記した伝票の下から、綺麗にトレーの上に整然と並ぶ正確なお釣りが現れる。
やられた。
親子ともども、頭の中で、瞬時に野田岩ファンクラブに入会。
サービスが良いと、食事もさらに美味しくなるということを絵に買いたいような店だ。こういうところに来ると、飽食の時代にあって究極の食べ物を地の果てまで探し求める連中がアホにも思えてくる。食事は、やはりサービスや空間のデザインがあってこそのもの。食材だけ、ワインだけ追い求めるのは何か違う。
座敷を降りて靴を履くと、おみやげに紙袋をかぶったうちわを1本手渡される。半透明のカバーがまた涼しさを醸し出していた。

2008年4月8日 火曜日

本棚から重い写真集をいっぱい出してきて、雨の音を聞きながら、デザインのアイディア出し。
雨の日はすべてが落ち着いた大人な雰囲気になるのが好きだ。濡れた地面や植物が濃厚な色に姿を変え、空気は文字通りしっとりと湿り気を帯びて、雨の香りを漂わせる。何層もの雲を突き抜けてきた太陽の光は勢いを失い、かすかに青白さを帯びて、窓際に置かれた物にやわらかな陰影をつくる。
こうやって、綺麗な写真集に眼を通すのが仕事、というのも幸せだなあと、ふと思う。
締め切り前の静寂。雨音。
2008年3月31日 月曜日

最後にした習い事というと、大学までさかのぼってしまう。
そんな私が何を思ったか、フランス語の学校に申し込んだ。
日本語と英語が話せるのは珍しくもないご時世なので、次はフランス語。新しいデジカメを買うより、習い事に興味を示すとは、自分もずいぶん変わったものだと思う。5万円で3ヶ月も楽しめるエンターテイメントと考えれば、安い安い。
飯田橋にある『日仏学院』は、フランス政府が運営する学校で、この冬からパリに引っ越してしまった友人が薦めてくれた。英語・イタリア語などヨーロッパ系の言語を話せる人向けの初心者コースというのがあったのが、最後の一押しになった。文法も単語もかなり似ているから早く前に進めるだろう。
3月末の本日、クライアントからのありがたいご入金を確認し、 汐留での打ち合わせが終わった足で、現金を握りしめて飯田橋に向かう。駅からの道のり、強い風に川沿いの桜が、狂ったように右に左に吹き荒れていた。
桜咲く道を、この10年間で初の学校に申し込みに向かう・・・ううむ、画がベタすぎだ。
日仏学院の建物には、日本とは微妙に違うコーヒーの香りが漂っていた。古い建物だけれども、カフェやら本屋やらがあって、どこか洒落た雰囲気を臭わせている。見渡すと、案内版から書類から何から全部フランス語で、申込書も、併記してあるフランス語は、何を意味するのかさっぱりわからない。一言で表すならば、それは「恐怖」。
申し込みを済ませ、併設の書店の木のドアをくぐる。教科書を買いに行くという行為が無性に甘酸っぱい気分だ。そのテキストブックのタイトルは「スピラル」で、綴りは英語のスパイラルと一字違いのSpirale。少しずつ上達するという意味だと思うが、やはり言語として似ている。なんとかなりそうな気がしてきた。
ともあれ、このとき感じたナミナミならぬ身の危険は良い兆候。どうせ勉強するなら、怖いくらい無知な分野でなきゃ意味がない。