「写真と映像」カテゴリーのエントリー

ニューヨークの青

2007年11月23日 金曜日

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足下のセントラルパークの芝生を載せたとなれば、昼寝しながら見上げた空の写真というのも、撮っていないはずはない。

最近は、どこで撮ったのかは本人しか解明不能の写真ばかりが溜まる一方だ。

ずっと、アメリカの空は色が鮮やかな気がしていた。アジアの空は湿気が多いからだろうか、少し白く霞がかかっていることが多い。十代の終わりに住んだカリフォルニアの、太平洋に沈む夕暮れとなれば、この世のものとは思えない赤や紫のグラデーションだったが、やはり湿気が少ないせいなのだろうか。

雲一つ無い晴天の写真となると、もはや解説無しには何やらわからないと思うが、カメラマン本人にとっては、背中に感じる地面を思い出す一枚だ。

写真って、そういうものかもしれないけれども。

裸足のセントラルパーク

2007年11月18日 日曜日

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数年ぶりに訪れたNYのメトロポリタン美術館を後に、そのまま裏のセントラルパークに散歩に出かけた。

平日の昼間なので人影は少ない。もう10月というのに快晴の暖かい日が続く週で、まだ青々と輝きを放っている芝生は、日本の公園とはひと味違う深みがあるようにも見えた。こんな芝生なら昼寝のひとつもしたくなる。

でも、陽気とは裏腹に、素足で踏みしめた地面は、もう、ひんやりと秋の気配。

ニューヨークは観光も悪くないが、仕事ならもっと楽しめる

2007年11月15日 木曜日

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9月末に「次の1週間、体は空いてるか?」と、思わせぶりなメッセージが届いた。

NYのプロデューサー ジョナサン・ブリルが、トロくて使い物にならないフリーのビデオ編集者をクビにしたらしい。こういうのはアメリカでは良くある話だ。さすがクリエイティブ系の発想力、東京の私をピンチヒッターとして飛ばすのがベストチョイスという結論が出た。クライアントは、アメリカ・大手オフィス家具メーカー「Humanscale」。展示会用ビデオウォール制作のプロジェクトである。

美大以来の悪友ジョナサンとの仕事となれば「お?ついでに飲めるじゃねえか」という話の方で盛り上がり、詳しいビデオの内容もそっちのけで引き受けた。 高解像度の業務用ビデオプロジェクター3台を使った投影なので、ハイビジョンより遙かに高画質だから、細かい調整は現地でないとできない。

…という口実。

まず東京で数日間、NYとSkypeをつなぎっぱなしにして打ち合わせしながら、ラフカットを完成させた。

成田に向かう1時間前にプレゼン用の低解像度ビデオをNYにギリギリ転送完了し、酷使されてまだ熱いノート型Macとすべてのデータが入ったハードディスク1台を鞄に突っ込んで、東京駅から成田エクスプレスに乗る。私がNYに向かう機中の間に、ジョナサンがクライアントに最初のバージョンをプレゼンをするという強行スケジュールだ。数日間睡眠不足で、NYまで爆睡。

NY到着の翌日に2度目のクライアントプレゼンがブッキングしてあり、到着早々いきなり徹夜。時差ボケがあるのかさえ分からない状態。納品までの1週間も、技術的問題の連発で徹夜続きとなった。パソコンの前と、近所のチャイニーズレストランと、ジョナサン行きつけのバーという3地点にしかいなかったので、およそNYに来ているという気分ではなかった。

上の写真は、実際に使うビデオプロジェクター3台を並べて動作チェック中のジョナサン。徹夜明けの早朝。大きな白い壁があるブルックリン・ハイツの自宅のベッドルームにテスト環境をセットアップ。

プレゼンに同行したりしていて思ったが、外国で現地人に混じってプロっぽく振る舞うことほど快感は無い。特にニューヨークは、観光より地元人と同じ行動をする方が遙かにおもしろい。

マンハッタン26丁目のHumanscale本社に納品した機材一式は、50GB分のビデオを搭載してトラックでカナダの会場へと運ばれていった。プレゼン終わりでジョナサンと、チャイナタウンで飲んだくれようぜと言う話になり、イエローキャブに飛び乗って、陽の高いうちにベトナム料理屋へ直行。

高額のプロジェクトを口実にして、はるばるNYで飲むのもわるかねえよな、と2人のプロフェッショナルは真っ昼間から酔っぱらうのであった。

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この家を通過した人々の記憶

2007年11月14日 水曜日

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自宅兼仕事場にお客さまが来ると、ポラを1枚撮らせてもらっていて、81枚になった。

パーティをする度に一気に数が増えるのだが、 悪友から家族・モトカノ・仕事の同僚までごちゃまぜで、日本人にロシア人にインド人。その脈絡のなさがたまらない。中には、名前も知らぬ友の友の友というのもいたり。あるじが酔っぱらいすぎのときは、手近な可愛いお嬢さんに撮って回るよう指令を出す。

留学時代に、ファインアート専攻の学生の創作用スタジオの前を通りかかって、利用者の顔がボードに貼ってあって、おもしろいなあと思った。写っているのは美大生達なので、ポーズやアングルも1枚1枚がクリエイティブ。アート専攻のやつらやるじゃねえか、と工業デザイン専攻の若者(わたし)は感心した。帰国してからチェキを買って遊んでいたのだが、写真を並べていてその時のことを思い出したのである。

最近は引っ越す度にゼロ枚から撮り直しているので、アート風に命名するなら「この家を通過した人々の記憶」とでもいうところだろうか。今夜のような寒々とした秋の夜長には、バーボン片手にこの部屋が人で溢れかえった一夜のことを思い出し、怪しげな微笑みを浮かべてみるというのも悪くない。

ポラというメディア自体が、アートっぽさプンプンだ。荒い粒子、強すぎのフラッシュ、ピンぼけしまくりの超クロースアップ。これに比べれば高性能デジカメは「完璧写真」製造マシンだ。1枚しかないという不便さも、考え方を変えると世界にたった1枚という希少価値を生み出している。ポラは、写真という「情報」ではなくて、「物」として扱う方が正解かもしれない。チェキで撮っているので、シャッター音1つで50 円。デジタルがタダ同然で撮れるわけだから、ポラは完全に高級路線だ。

元グッチのデザイナー、トム・フォードによれば、最新の流行にドップリつかっていれば、次に何が欲しくなるか、何が流行るかが自然にわかるものなのだという。デザイン屋の多くが格好いい生活を送っているように見えるのはそういう意図もある。要するに仕事の一環なのである。前述のハイテクを知り尽くしたMIT男(上の写真にもいます)が、最新鋭のインク ジェットではなくプリントゴッコを愛するくらいなのだから、テクノロジーの行く末は「便利さ」以外の方向にあるに違いない。