夏こそ「雪」の写真
2008年7月14日 月曜日
2008年7月14日 月曜日
2008年7月13日 日曜日

ずっと自宅兼仕事場での毎日だったのだが、知り合いからお誘いを受け、ITベンチャーの一角に机を置かせて頂くことになった。オフィスシェア。
そもそも、人間の頭はずっと同じところで一日を過ごすようにはデザインされていないのではないかと最近気付いた。
一時期、テレコミュート(自宅勤務)が流行ったことがあったが、最近はあまり聞かなくなった。このところアメリカでは、巨大なオフィスをフリーランスのプロ達が共有するブームが起きているらしいが、それも納得できる。
やっぱり沢山の人がまわりにいるのが、幸せ。
作業系の仕事はこちらに来てやることが多くなりそうだ。緑溢れる目黒庭園美術館が目の前で気持ち良い。最寄り駅は山手線・JR目黒駅。

2008年7月13日 日曜日

今月末に発売の『デザインノート』誌・第20号で取材をさせて頂いた、佐藤可士和さんのインタビュー原稿。これを元に記事本文を書き上げた。
インタビューは、レコーダー1台だけだと録音がバグったときに取り返しがつかなくなるので2台同時録音。 テープの交換なしで延々と録音のできるICレコーダーを、現場到着直後から帰るときまで回しっぱなしにする。
電子式のレコーダーは何かの弾みでいっぺんに全データが消える可能性があるので、特に注意が必要だ。ライターを始めた頃には、MDレコーダーで録音した長いインタビューが、誤動作で全部消えてしまい唖然とした。その時は、インタビューに応じて下さった本人にもう一度話してくれとも言えず、記憶を総動員して記事を書くという離れ業をやった。以来、シビアなインタビューでは絶対2台。 同じ機械的な問題が起きないように、機種もわざと少し違うものにしてある。
インタビューを文章にする「テープ起こし」作業は、会話のスピードにもよるが、録音オリジナルの3〜4倍の時間がかかる。インタビューは長ければ使える話も増えるものの、後で書き起こす手間が増えるのでバランスが難しい。テレビの収録ではおさえで余分に録画することを「長まわし」と言うらしいが、ビデオも調子にのって無駄に長く撮影すると編集作業が悪夢になるらしい。
テープ起こしは別人に頼むこともできるが、書き起こしながら記事本文の構想を練ることができるので、ライター本人がやるのが理想的とも言える。だいたい予算の関係で外注は無理だが…。
上の原稿は、1時間半のインタビューを書き起こしたもの。
ご本人の言葉をカギ括弧で引用すると説得力ある部分や、ネタとしておもしろい部分に赤鉛筆で線をひっぱり、どの部分を記事に使うか決めていく。どんな記事・取材でもそうだが、実際に掲載されるのは取材した中のごく一部だけなので、ライターは全文を読めるという特権を持っている。
使えるテキスト素材を整理できたら、次は、記事に組み上げる作業が始まる。文章の論理的な流れと、文字数の調整、段組の切り替わる位置を考えながら少しづつ書き始める。この「知的パズル」遊びは、一番苦しくも楽しい時間である。
2008年7月13日 日曜日

iPhoneの原型である最初のiPodが発売されたのは、NYに飛行機が突っ込んだ2ヵ月後、2001年11月のこと。
当時のiPodは、テクノロジー中毒のMacユーザーだけが飛びついたマニアックな商品だった。予約をしてまで発売当日に手に入れた私は、大学で工業デザインを勉強したものだから、角がとがって痛い、傷つきやすいケースには感心しなかったが、2つのことにひどく興奮していた。
ひとつめは、ハイテクの固まりにも関わらず、複雑なテクノロジーの顔は完全に影を潜めていたこと。ハイテク機器のインターフェースは、往々にしてありとあらゆる設定を変更できる複雑さが美徳で、量が勝負の時代。iPodは「音楽を楽しむ」という目的を邪魔する余分な機能は、容赦なく排除するという、ごくあたりまえの原点に戻るプレーヤーだった。
いまとなっては当たり前になったことだが、アップデートをインストールすると新しい機能が使えるようになるという仕組みも新しかった。機械を買い換えなくてもソフトだけで新しいプロダクトに生まれ変わるという「物理的な物を売る」プロダクトデザインの根本がひっくり返った。
あれから7年。
iPodは携帯電話に姿を変え、世界中で長い行列ができる商品になった今も、あの2つの個性に変わりはない。
思いつく機能をドンドン追加する「足し算のデザイン」で磨き上げたのが、日本の携帯電話ならば、iPhoneは完全に逆転の発想。どの機能を省くかという「引き算」の思想だ。iPhoneは沢山のことが出来ることが売りではあるが、その機能一つひとつは徹底的に考え抜かれた非常にシンプルなものだ。カメラひとつをとっても、シャッターボタンしか出てこない。
日本の機能大盛りの携帯電話に慣れているユーザーには間違いなく違和感があるだろう。例えて言うなら、iPhoneはお年寄り向けのシンプル携帯のようなコンセプト。極めて使いやすいが、機能は限られている。多機能を期待して買うと痛い眼にあうので注意が必要だ。
…と、ここまで書くのだから、この男はiPhoneに違和感など、みじんも感じていないのだろうと思う方も多かろう。
もちろん満足である。
でも、実は、長年のジャパニーズ携帯のユーザーとしては、かなりつらい携帯だと感じる部分も沢山あることがわかった。アメリカ帰りで、しかも自称ハイテク&マックおたくの自分でさえ違和感があるのだ。あの行列に並んだ日本のみなさんは今夜あたり何を思っているのだろうか。もしかするとiPhoneはすべての日本人向けではないのではないか?
24時間使ってみた最初の印象は、明らかに外国の文化感でデザインされた携帯電話であるということだ。それと同時に、逆に、世界の市場で鎖国状態を貫いてきた日本の携帯テクノロジーのすごさも見えてきた。
数回に渡って書いてみるつもりだ。

2008年7月11日 金曜日

表参道には夜通し1,500人が並んだそうだ。
あっちは契約手続き完了までそのまま待たないといけないようだが、新宿ヨドバシでは朝6時半から2時間だけ並んで整理券を貰い、さっさと帰宅。土曜日の指定された時間枠に契約しに来れば良いことになった。
表参道は徹夜組の若い連中が目立っていたが、こちらはと言うと、写真の靴でわかるように出勤前のサラリーマンが多かった。400人前後で打ち止め。
2008年7月10日 木曜日

言わずと知れた、創業160年の老舗。うなぎの最高峰「五代目野田岩」は、東京タワー直下、飯倉交差点から少し下ったところにポツンとある。
山本益博さんが「2階の雰囲気が必見」だと言っていたのを思い出し、引き戸をくぐり2階は空いているかと問うと、少し待てば空くかもしれませんがお待ちになりますか?と和装の女性。
野田岩は席を待つのがあたりまえなのだが、この40代の仲居さんは、待たせるのを何度もわびて声をかけてくれた末に、ちょっと様子を見てきますと言い残して2階に消えてからすぐ戻り「いまお会計をなさっているお客様がいらっしゃいます」と満面の笑みで報告をしてくれた。
彼女の言葉使いや仕草に見とれていると、何やら幸せがこみ上げてきた。お嫁さんにするならこんな人だよなあと、妄想をはじめる自分。次来るときは、うなぎでなく彼女目当てで来てしまいそうだ。
大広間だと思いこんでいたのだが、案内されたのは小振りではあるものの、なんと立派な個室の座敷だった。
「ここ、2人だけで使って大丈夫なんですか?」
「もう今夜はお客様が一巡しましたから大丈夫ですよ」
座布団に座った連れは、タタミをじっと見つめて「ふうむ、さすがのものを使っている」と宣言した。タタミの品定めなど私にできるはずもなく、 撫でたり押したりしてみるが、やはりわからない。要するにこの連れというはうちのオヤジだが、さすがにとんでもないことを知っていて時折驚かされる。
うなぎは注文してから炭火の上にのせられ、焼き上がるまでしばし時間がかかるものだ。このひとときは、じっくり話をする良い機会だろう。コミュニケーションをとりたい相手との会食には、わざとうなぎを選ぶというのも粋なものではなかろうか。
味については別に私が書かないてもよろしい。そりゃうまい。個人的には、塩をつけて食べる白焼き(野田岩では「志ら焼」と綴る)がたまらぬ。
この日は 天然うなぎがあまり出なかったとのことで、養殖の代わりに天然を出してくださった。霞ヶ浦産だそうだが、お品書きにある「天然うなぎ 時価」は、この日は5,000円前後だったとか。我々が元々オーダーした、スタンダードうな重の最上級「萩」でも3,675円である。おそるべし天然。
割り箸の袋には、天然うなぎの肝には釣り針が入っていることがあるので注意されたし、と書かれている。天然は春から出回るそうだが、「今年はもうラッキーな人が出ましたよ」と、仲居さんが愉快そうに教えてくれる。若い女性だったそうである。めったに出るものではないので、持って帰る人も多いらしい。
障子を開けてお勘定を取りに来た仲居さんに、1万円札を2枚渡す。するとその直後に、金額を記した伝票の下から、綺麗にトレーの上に整然と並ぶ正確なお釣りが現れる。
やられた。
親子ともども、頭の中で、瞬時に野田岩ファンクラブに入会。
サービスが良いと、食事もさらに美味しくなるということを絵に買いたいような店だ。こういうところに来ると、飽食の時代にあって究極の食べ物を地の果てまで探し求める連中がアホにも思えてくる。食事は、やはりサービスや空間のデザインがあってこそのもの。食材だけ、ワインだけ追い求めるのは何か違う。
座敷を降りて靴を履くと、おみやげに紙袋をかぶったうちわを1本手渡される。半透明のカバーがまた涼しさを醸し出していた。

2008年7月6日 日曜日

最新号のWebデザインノート誌に、3本記事を書きました。
凄腕プログラマーの前川峻志さん、デジタルに情緒を持たせるディレクター・アラカワケンスケさん、そしてヨーロッパ系のデジタルデザインエージェンシー『LESS RAIN』の東京オフィスを取材。
印刷が完了するまで他の記事の内容は知らなかったのだが、ニューウェーブ特集ということで、ウェブからインスタレーションまで記事が幅広く、 かなり密度が高いというのが、第一印象。
もともとは一読者だった私。その視点で考えるとこの号は結構売れそうな気が…(と、編プロの樺山さんに伝える)。
2008年7月3日 木曜日

まるで中身も全部つまった陶器のようだった。
目黒庭園美術館のカフェで登場した真っ白の牛乳は、陶器のフチになめらかに形を溶け込ませ、境界が見えない。容器と全く同じ色のなみなみと注がれたミルクは、固体のようだ。
コーヒーはブラックなので一度も触らないで去った。液面が揺れるのを見てない私の頭は、まだ少々混乱気味。
2008年7月3日 木曜日

長らくご無沙汰していたNY時代の師匠・石岡瑛子さんに、仕事の話でメールを打った。
ニューヨークから返事が来ると思っていたところ、北京から返事が届いた。なんと、オリンピック開会式のコスチュームデザインを担当していて、追い込みのまっただ中なのだそうだ!
『広告批評』の最新号に「北京の石岡瑛子」と題した28ページの特集が載っていると教えてもらい、早速本屋に走る。長めのインタビュー記事なのだが、われわれが外から見る中国とはまた違う、生の現場の中国ストーリーが面白い。どうも僕らがメディアで見ている中国は、実物とは少し違うみたいである。
肝心のコスチュームデザインは、8月8日の開会式まで極秘。総監督は映画監督のチャン・イーモウで、会場スタジアムはヘルツォーク&ドムーロン設計。そして、ハリウッドからシルク・ド・ソレイユまでを手掛ける石岡瑛子の衣装。
突然、オリンピックが他人事では無くなった。
2008年4月13日 日曜日

10年以上前のニューヨークでのこと、今でも大事にしている一冊の本を見つけた。
ある日、通っていた美大の図書館の前に段ボール箱がずらりと並んだ。古い本を処分する投げ売りだ。アメリカの古書に特有の湿っぽい匂いがする、色あせた本ばかりで、あまりそそる雰囲気ではなかったのだが、1冊2ドルだというので、高い美術書の掘り出し物でもあるかと思い、物色を始めた。
そのときに見つけたのが、ごくシンプルに「One Million」と題名のついたこれ。定価は3.95ドル。
私が生まれるよりも前に大手出版社Simon & Schusterが出版。その中身には、私だけでなく教授や同級生は眼を丸くした。…正確には、それに加え、眼がチカチカした。
その本を開くと、紙の上に並ぶのは文字の代わりに「黒い点」。200ページに渡って目の錯覚テストのようなページが延々と続き、100万個の点が整然と並ぶ。
2番目の黒い点の「2、エデンの園の住人の数」というコメントから始まり、「81,000、 アメリカで心臓移植を待つ人」、「251,723、1969年にワシントンDCでベトナム戦争抗議デモに参加した人」、「649,739(分の1)、ポーカーでローヤルストレートフラッシュになる確立」など、なんとなく知っていそうで、いまいちどのくらいのサイズなのかがわからない数字が紹介されている。
この本が世に出てから40年近く経った現代にも、そっくりそのまま残っているのは、数字という抽象的なわかりにくい概念だ。数百億円でどこぞの企業を買収したとか、国家予算が何兆円であるとか、大きな数であればあるほど、実際の大きさはよくわからない。人間がいっぺんに認識できる物事の数は7だと言われているし、手と足の指を総動員しても20までしかカウントできないわけだから、頭の中ですぐに認識できるのはそのくらいの量だろう。
この本を手にした若き美大生は、デザインがこういう社会的に大切な情報を直感的に伝える役割を担えると思った。「情報」が世界を動かす最強の力になったいま、情報の翻訳家が必要だと思う。アフリカの難民が何万人いると聞いても、アマゾンで森が消えていくニュースを読んでも、そりゃ大変だぁというくらいの反応しかできない我々の脳がそこにある。こういった人類の明日に関わることの規模は、当事者である私たちの理解のキャパを遙かに超えてしまった。
インフレ、人口爆発、世界規模の環境変化・・・、巨大な数字があふれ出している。1970年には「100万」で社会現象を表現できたとしても、2008年版となると何巻シリーズになるのだろうか。
